刃物に凝りはじめ…砥石と出会い…多額を投資し尽くした鉋侍海野です。
来週末には全国大会削ろう会が神奈川県にて行われますが、どうやら私の所有している中で一番頼りになる砥石は今回でアガリとなりそうなのです。
思えば…浅草まで小遣いを握りしめ購入しに行ったのは十数年前のこと…
あれから一体幾つもの余計な砥石を買った事でしょう。 結局は一番頼りになる砥石ばかり減っていき…(悲) 一生物だと思って買いましたが、削ろう会出場の度に薄くなるのは削り屑より確実に砥石の方でして(汗)
古い学芸百科事典で目にした記述に、アメリカのアーカンソー地方で産出される白色のアルカンサス砥石とやらは世界的にも有名な砥石だと言う事です。(知らなかったよ~♪)
アメリカがやはり私を呼んでいるのでしょう♪
ネバダ州にも砥石があるのかも知れない…
ナニシロあそこは未知のエリア51もあるらしいのだから砥石が産出されてもオカシナ話ではない。砥石が産出されないのなら砥石を購入できるチップを産出すればよいのだから。
本日のあれ!
日本の刃物は砥石と言う物の力を得て世界に誇れる打ち刃物が確立された。
私は積み立てと言う貯金の力を得ててみじかな夢を確立された。
どちらも運命的であり、素晴らしい物語だ。
投稿者 ガレリオ侍
またまたばぁさんです。削ろう会もうすぐですね、頑張ってください。もし私が鳩山さんの母だったら、気に入った鉋や砥石の1つや2つ、アーカンソーでもネバタでもどんどん行かせてあげる、その金はと聞かれたら「知らなかった」と言えばいい。(笑)もう60年前の話である、スキーに凝っていたから休みを工面しては出掛けたものだ。背が低い私は思うスキーがなく、板とエッジを買い父に付けて貰った。見事な出来栄えに感動した、大工って何でも出来るんだと。滑りやすくお気に入りのスキーで長く愛用した、子供が1歳半の時職場の大会に、子供を母に預けて出張と言って出掛けた。前日の練習で転倒しスキーを折ってしまった、怪我もしたので棄権して帰ってくると、子供が風邪をひいて母が困っていた。バチが当たったのだと思った、今膝が悪いのも身から出たさびかも知れないと思うこともある。63歳の時子供のスキーに付いて
行った、30年振りなのにちゃんと滑れた、面白くてその歳は6回も出掛けた。冬が来ると懐かしく思う遠い昔の夢女の話です。
ガレリオ流に解釈するに、国宝級の砥石に出会えないのは、まだ自分の腕が未熟だからで。もっと詰めるならば本気で買う覚悟ができていないと言うことです。きっと私の妻ならば、月給くらいの砥石がどうしても欲しいと言えば買ってくれると思います。これが分かっているがうえに買えない侍がいます。(汗) そしてmitsueさんの膝が悪いのがスキーや若い時の無理からきているのなら勲章だと思います。そんな素敵な勲章をもっている人は多くはないと思います。素敵な冬の思い出話はきっと僕みたいな人間に語る人生実話の保存版みたいなものです。僕も出張のある職種だったらハマちゃんみたいな釣り三昧もしているんでしょうが・・・これからも若き日の思い出話聞かせてください!! ほろ酔い侍